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荒谷和弘とは?初めて語る過去から現在まで

荒谷和弘とは?初めて語る過去から現在まで

生まれたころは

私は昭和32年5月、東京都世田谷区にて、父二郎、母美代子の長男として生まれました。

私は歯科医としては二代目になりますが、その当時父はまだ歯科医を仕事としておらず、勤め人をしていたそうです。

というのは、父が歯科の学校を出た時が、丁度昭和20年の戦争が終わった年で、新人歯科医が勤めるようなところがなかったことと、祖父も祖母も教員だったのですが、二人共にすでに亡くなっていて、兄弟もおらず、天涯孤独であった父は、食べることで精一杯であったと聞いています。

ですが、私が生まれた翌年に、大変だったとは思いますが、東京都豊島区のあのおばちゃんの原宿と言われている巣鴨駅前商店街で歯科医院を開業することができたのです。

しかし、13年のブランクは、いかんともしがたく、父は巣鴨歯科を他の先生にゆずり、自分は他の歯科医院へ勤めて修行の年が続きました。

子供時代のこと

その歯科医院は、奥が借家になっていて、そこで生活していた我が家は、そのまま奥だけ間借りし続けました。

結局、中学3年まで、そこで過ごすこととります。

そこの商店街の子供たちの中では、私が一番小さかったものですから、どの商店へ行ってもかわいがられました。

一人っ子でしたから、自分より上の子供たちの後を追いかけ、遊んでいました。

我が家は、食事の時間が遅かったため、週の半分は、商店街のうちに上がりこんで昼食やおやつや夕食をご馳走になっていました。

また、幼稚園へ上がる前には、1日暇なので、各商店の手伝いをすると、いう名の邪魔をしていましたが、いい時代でしたので、みんな大人たちもいやな顔せず遊ばせてくれていました。

当時3-4歳のころで自慢できたことが一つあります。

それは、百円札、五百円札、千円札はめったになかったと記憶していますが、売り上げに対するおつりをレジから間違わずに正確に出すことができたことです。

当時小さい男の子が、うまくこなすと、お客さんも、商店の親父さん、おばさんたちも、すごくほめてくれて非常にうれしかったことが、思い出されます。

人におだてられると直ぐその気になるのは、このころからだと思います(笑)。

それに、それぞれのお店に朝から晩までいりびたっていたおかげで、誰かしら、自分の周りにいたので一人っ子ではありましたが、さびしくありませんでした。

魚屋さん・果物屋さん・お菓子屋さん・雑貨屋さん・乾物屋さん・お肉屋さん・酒屋さん・洋服屋さん・不動産屋さんなどで、このころから、大勢の人の中に入って交わることが大変好きでした。

今でも、患者さん方とお話するのが好きなのはこの頃からのことだと思います。

診療室が遊び場でした

患者さんのいない診療室は自分にとって良い遊び場で(もちろん、歯科の診療台をいじることはとめられておりましたが)遊びながら自分も大きくなったら、歯医者さんになるのだと何となく思っていました。

幼稚園、小学校と無事過ごしていましたが、5年生のときに、通っていた塾の先輩が某有名進学校に受かり東京では珍しかった坊主頭になった姿を見て憧れ、ぜひ自分もその学校に入りたいと思い、(親は公立の中学校に行かせるつもりであった)親を説得し、受験勉強を始めました。

スタートが遅いこともあって、最初は進学教室に入っても、下のクラス(四谷大塚では中野教室が一番上)で、日本進学教室(日進)にいたっては入塾試験にさえ受かりませんでした。

それでも、合格を夢見て平日は週3日9時30分ごろまで、日曜日も朝早くから、勉強をしていました。

そんなかいがあって6年の2学期の四谷大塚のクラス分け試験では中野教室に入ることができ、日進の入塾テストにも合格し慶応2組という私立を狙う一番上のクラスに入れました。

だんだん自分の中で受験能力が伸びてきたのがわかり、自信も芽生え始めました。

親は、勉強については一切口出ししませんでしたので、余計に自分がしっかりしなければと思い生活しておりました。

ただ、本当に行きたい学校は一つなので、塾の他の友人たちのように、いくつかの中学を受験することは許されず、本当に行きたい学校一本だけを受験しました。

しかし結果は、不合格、だめでした。

人生初めての挫折です。

挫折により蕁麻疹が、、、

自分では、そんなにショックではないように思い、自分の努力が足りなかったとあきらめたつもりでしたが、体は正直で今まで、でたことがなかった蕁麻疹がでるようになり、お医者さんに診てもらったところ、原因は精神的なものであるとの診断でした。

この後も、歯科医になるまで、ストレスがかかると、体に蕁麻疹がでるようになり、かなり苦しみました。

中学へ入学してからは普通に学校生活を送っていましたが、中学2年の1年間、反抗期もあり、「何の疑問も持たずに歯科医師を目指していいんだろうか?」と疑問を持ち、中学を卒業したら、独立して働らこうと考えていました。

3年生になり、反抗期も収まると、親の説得もあって、やっぱり歯科医師を目指す道を選びます。

ただ、散々サボった、1年間のブランクは大きく、大変でした。

しかしもう一度、某学校の高校を受けることができるまで、学力は回復できることはなく、中堅の都立高校へ進学しました。

そして卒業後、鶴見大学歯学部に入学し、なんとか歯科医師になることができました。

歯科医師になるところになると、夢がかなったからなのか、あの今まで悩まされていた蕁麻疹が、でることもなくなりました。

そして、現在.日々勉強の毎日です

学生時代は、歯科医師になることができる最低限の勉強しかしていませんでしたが、、、あらや歯科医院を開業後は、自分の歯科医師としての能力の低さを感じ、その頃の何倍も勉強をしています!

常に新しい技術を習得し、自分の診療に取り入れることを、楽しみながら実践しています。

現在、歯科の技術は日進月歩で、特に近年においては ものすごいスピードで進歩しています。

以前ではわからなかった事や科学的裏付けがなかった事が解明されて、より確実な技術が次々とでてきました。

それによって、いくつかの治療法の中から、患者さんが自分にあった治療法を選択でき、より確実で、より綺麗で、より心地よい治療が受けられるようになりました。

もし歯科医師が勉強不足で、その進化のスピードに置いていかれるようだと、そこに来ていただく患者さんに大変な迷惑をかけることになります。

私は、せっかく、歯科医という人の役に立てる仕事になれたんです。患者さんに喜んでいただけなければ意味はありません。

だからそれこそ、日々日々勉強の毎日です!

院長 荒谷和弘 経歴

1957年:東京都世田谷区生
1982年:鶴見大学歯学部卒業
1982年:鶴見大学歯学部補綴学第Ⅲ講座入局
1985年:東京都古川歯科医院勤務
1987年:あらや歯科医院開設

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